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心身喪失で無罪

リンク: 「セレブ妻」心神喪失で無罪濃厚 「なぜ」という疑問ネットで噴出 - 速報 ニュース:@nifty.

 精神障害者による犯罪がさばかれるたびに、”心神喪失で無罪”ということばがお決まりのように聞かれる。それがずるいとか不公平だとかいう話でなく、私が思うのは、精神障害なら精神障害でなぜもっと早く、犯罪を起こしたりする前に適切な処置がとれなかったのか、ということだ。
 よく言われることだが、重症のアルコール中毒患者はいよいよ身体が限界に来て飲もうにも飲めない状態になると、そこでようやく病院に運ばれる。精神科でなく内科の病院に運ばれるのだ。内科では、それが仕事なのだから、患者の身体を治療して健康に戻し、退院させる。退院したアルコール中毒患者のまっ先にすることは何か。最寄の酒場にかけつけて、さっそくそこで浴びるほど酒を飲むことである。病気のアルコール中毒患者が健康なアルコール中毒患者になったというだけで、根本的な問題は少しも解決されてはいないのだが、これと同じで、犯罪に発展し得る精神障害があると疑われたら、まずその障害自体に着目して処置しなければ意味がない。
 精神障害は目に見えないし、また人格そっくりおかしいわけでもないから、一見ふつうの問題ない人間に見える場合も多い。一般人とほぼ同じに社会生活を送り、ふだんから付き合っていてもそう変わったところは見られない、というのも珍しくない。まま変わったところがあっても、個性の一つくらいに見なされて放置されている場合も多かろう。これを個性でなく病的特徴と区別するのはずいぶん難しいし、専門家でなければ無理ではないかとも思う。が、ある点以外ではまともな人間に見えるのに、ある一点に限っては常人とおそろしく違っている、などいうのはその目安のひとつにはなるだろう。ことに、あきらかに自らに不利・無益であり、時には害悪にさえなっているのに、その点を改める様子が全然ないというのは、これは明らかな異常の兆候だということができる。改めるどころかまったく自分ではそのことに気付いてなかったり、反対にそれに固執したり、弁護したりするというのも、精神が普通ではない証拠だ。程度にもよるが、こんな精神の病的兆候は、大なり小なり犯罪に結びつく可能性があるということができるだろう。
 精神障害は、純然たる病気であるから、たとえばインフルエンザが気合いで治らないのと同じように根性や反省で治りはしない。アルコール中毒だって、根性で治せるものなら、今さらこんな病名は現代まで残ってはいない。逆に言えば、医学的に病根をつきとめ対症療法を行なってこそ、治すことが可能である。少なくとも症状を和らげることは十分できる。他人にうつるところまで伝染病を悪化させて放っておくことが咎められるべきであるのと同様、精神の障害もこれを増大するまま放っておくのは好ましくないと思われる。
 ことに恐ろしいのは、上に挙げたような精神の病的兆候が、往々にして「好ましい性格」として周囲に誤解されたり満足されたりする場合があることだ。映画やドラマに出てくるアル中が、往々にして哀愁を帯びた自由人のごとく描かれているのを、誰でも一度は目にしたことがあるだろう。現実においても、勝手な夫に「耐え忍ぶ」妻、支配的な両親に「従順な」子どもは、感心な、うらやましい存在と見なされている場合が多々ある。が、冷静に考えてみれば、彼らの行動はおかしいとどんな人でもわかる。不当な仕打ちには反撃したいと思うのが、人間の最もふつうの感情だ。それなのに、手向かい一つしようとせず、後生大事に服従し続けるというのは、どう考えても健康な精神の持ち主とは思われるまい。心身にたえず深い傷をつけられていてさえ、そうされることが自分にとって仕方ないことと疑問にも思わないような人間は、必ずやひどく精神が参っている。早急に治療の必要がある。―「忍耐深く献身的な妻」「孝行でまじめな優等生」などと彼らを見て満足しているのは、浅い見方だ。自分に都合がよい限り、相手の病をもよいように解釈するというのは、たとえ無知からとはいえ、結果的には何ともむごい行為であると言わざるを得ない。
 精神障害者が病を治されないまま放置、時には利用され続けたあげく、次第に病を悪化させ、ついに悲惨な犯罪を起こす、するとまったく健全な人間と同じように逮捕され、裁判にかけられ、「心神喪失状態だった」とは卑劣極まりない言い訳である、と非難される。結果で判断すれば、犯した罪に相当するだけの罰を下手人が受けるのは当然の仕儀であろう。責任能力を問えば、社会生活を滞りなく行なっていた以上、それに欠けているとは言えない状況もあるだろう。しかし、現実問題として、社会や家庭に精神障害者を生み出す土壌があり、世間にこれを容認する見方があり、一般に本人に落ち度があるから精神を病むのだという考えがある限り、このような環境で彼らを裁くのはフェアでない。裁くなら、精神障害者もわるいがこれを放置して顧みなかった存在もわるいと公けにするべきである。でなければ、いつまでたってもこの種の犯罪は減ることはあるまい。インターネットや教育機関というものは、そうした知識をわれわれに与えるためにあるのではないかという気がする。

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